宇宙に畑を作りたい

タイトルとは全く関係ないことも書いていきます

無駄遣い

カッコいい大人になりたかったし、今でもなりたいと思っている。
身だしなみに気を付け、体を鍛え、資格の勉強をして、文学や音楽を趣味にして、そんな休日、人生を送りたいと思っていた。

実際は1つも実現していない。

くだらないことに金を使い、むしろ人生をマイナスにしている。
いつも同じことで後悔する。

リセット的な思考があるから、無かったことにしたいが、無かったことにできない。
そのときそのときは猛烈な反省をするが、いつの間にかその反省が消える。

自分以外の全ての人がすごい人に見える。

蔑んでいたクズな大人に、まさに自分がなっている。

せめて仕事を終わらせようと思ってもやる気が出ない。
やらなければいけないのにやる気が出ない、怖い。

こんなんではダメだ。

ダメだと思っているのに、ダメなままだ。

何かが変わると思っていたけど、何も変わらなかった。
自分は一生このままなのかもしれない。

汚い。
汚れている。

自分は、いつからこんな存在になってしまったんだ。

冷静になれない。
壊れている。

自分を分析しても何も出てこない。

何もできていない、輝きは無い。

自分が何もできていない、終わっている世界で、どうすればいいんだろう。
変えたい気持ちはあるのに変えられない。
欲望を抑えられない。

バカだ。
本当にバカだ。

どうすればいいんだ。

つまらない。
わからない。

モヤモヤだけが残り続ける。

自己開示の枷

GWだが色々と忙しかった。
仕事を終わらせたいと思っていたが、終わらせることはできなかった。

やりたいこと自体はたくさんあるが、そのために具体的な行動を始めるとすぐに挫折してしまう。
要は、継続しないのだ。

例えば漫画を描いたり写真を撮影したり、運動したり資格を取ったりと、こうなれたらいい、こうしたいと妄想することがあっても、時間がかかるとそれを忘れてしまう。

だいたいの人がそんなものだと思うのだが、自分はだいたいの人よりすごくなりたいというような欲求がある。

承認欲求はそれほど強くないとは思うのだが、逆につまらないことを恐れる傾向が強い。
この誰も読んでいないブログでさえ、身バレを恐れて具体的なことはほとんど書かない。
一応、アフィリエイトなどを目指しているのだから、それなりにアクセス数が無いと意味がないのだが、こんな抽象的な内容では面白さも何も無いだろう。

休みで良かったことは、仕事についてゆっくりと考えられたことかもしれない。
とにかく自分は、自分の力で勝つということが好きだ。勝つというのは、称賛のような意味合いがある。
仕事は、絶対に勝てるということはないし、勝負ばかりが続いていく。
これが辛い。

量が多い、わからないことが多いというのも原因かもしれない。
わからないことが多くて困るのだ。

分業になっていないのも原因だろうか。
いっそ全てを下に任せた方がいいのかもしれない。
それを拒んでいるのは自分自身だ。

他者との仕事は極めて面倒だ。
私は、自由であることに強い価値を見出だしている。
一方で、その自由は安定に裏付けされていることを希望している。
不安定は不自由に繋がる。
しかし、安定のために自由を捨てている。
このジレンマにいつも悩まされている。

勇気が無い。
が、ここで行動することは勇気なのか。
逃げでは無いのか。

目標を見失っている。
いずれは自由になりたいと考えていたが、客という存在がいる限りは自由になり得ない。
答えが見つからないから、躊躇する。

対人関係の無いところで安定を取れることが理想なのだろうか。
何がしたいのか、自分でもわからない。

人脈は必要か

「人のために仕事をすること」
「欲を捨てて社会のために仕事をすること」

これらの気持ちをもって、私欲を捨てれば社会的な成功が得られると指南するものが溢れている。

本当にそうか?

人脈を作ることの大事さが説かれる。
偉い人、力ある人と繋がることが大切だと言われる。

本当にそうか?

仕組みを理解しろ。
目標を忘れるな。

自分は何をしたかったのか。
何をしたくなかったのか。

自分がやりたいことのために必要なことは何だ?

「仕事が増えてほしい」わけではない。
「金が増えてほしい」のだ。

社会のために働くことはできない

私は「社会のため」に働くことは嘘だと思っている。
社会のために、人のためになりたいという心構えは、社会人として正しいことだと言われているが、私はこのような考え方がとにかくできない。

仕事は対価だ。
私は自分の生活のために時間を削って心を減らして労働している。
対価が欲しいからだ。
関係性が希薄な他者のために働いているわけではないし、ましてや社会などという曖昧で漠然としたもののために働いているわけではない。

そもそも「いい社会」とは何か。

誰かの利益は誰かの不利益になることはたくさんある。
それは経済的利益だけでなく、精神的な利益もそうだ。
誰もが幸せになれることは素晴らしいことだと私は思うが、他者の不幸にこそ幸せを感じる人にとって、そのような事態はどうなるのだろうか。
まるで子供の屁理屈だが、私は価値観とは個人の最も異なる部分で尊重されるべきものだと考えており、だからこそ「この価値観は誰にとっても正しい」という思考には懐疑的だ。
だから「社会のため」という言葉は、まるでその価値観に立てない人間は社会に属していないかのように聞こえてしまう。
しかし現実にそういった人間も属しているものを「社会」というのであるから、そこには強い矛盾があるように思えてしまう。

自分のため、金のために働くことは、何故いけないのか。

自分の成したことで相手が喜んでくれることは、私も当然嬉しい。
しかし、それは彼の喜びによって私の自己肯定感が充足されるためだ。
自分のためなのだ。

変わりたい

変わりたい

自分は弱い人間だ
何もできない

自己否定をすることが増えた

万能感は消え、弱い自分が剥き出しになった

変わりたい
一度は変われるかと思ったがだめだった

自分は弱いままだ
すぐに欲望に負け、すぐに流される

何がしたいんだ自分は

こんな自分になりたかったわけではない
自分は、こんな気持ちになりたかったわけではない

何をしているんだ
本当に何をしているんだ

できない自分に言い訳を作って
ストレスを言い訳に弱い自分を肯定して

こんな人生何が楽しいんだ

こんな人生でどうするんだ

向いていなかろうと何だろうと、だめなのに

自分は弱い
変わりたいと思っていても変わらない

自信が無くなる

もっと強くなりたい

弱い自分が嫌だ
嫌で仕方ない
嫌いだ

1日が早い

すぐに1日が過ぎていく、終わっていく。

やりたいことがたくさんあるのに終わらない。
とにかく仕事が終わらない。

こんなに仕事を終わらせるのが下手だっただろうかと思う。
色々な人の折衝をしなければいけないから、極めてストレスが溜まる。
一人になりたいと思うときがある。

面倒くさい。
が、自分だけでは何もできない。

もっと強くなりたい。