鼻の手術 その2
鼻の手術の術後について
1.手術当日
麻酔の影響と、何より手術の疲れで、当日は何とか帰ったという有様だった。
痛み止めも打ってもらっていたので、痛みは無かった。
ただ、鼻呼吸が一切できず、口から血が出てくるという状態だった。
先生が右鼻だけストローみたいなものを入れてくれていたのだが、綿球を入れてしまうので塞がってしまい、結局、鼻呼吸はできなかった。
食事は普通にしていいと言われたが、当日はあまり食欲が無く、おかゆだけ食べさせてもらった。ウイダーインゼリーも飲んだかもしれない。
風呂は体をシャワーで流すだけとのことだったのだが、怖くてシャワーも浴びなかった。
家に着いたときは疲労が強かったのだが、徐々に痛み止めが切れて痛みが出てき始めたのと、何より流れてくる血が厳しかった。
だいたい洗面所にいた。
仕事も休んだのでぼんやりとしていたのだが、何をするにも集中できず、ひたすらぼーっとしていた。しかし、穏やかにぼーっとしていたわけではなく、口の中に流れてくる血が嫌で嫌で仕方なかった。
覚悟はしていたが、やはり夜はろくに眠れなかった。
完全な口呼吸の睡眠というのは初めてだったが、2時間くらい入眠したかしていないかという状態で、起きたときには口の中がカラカラになっていた。
2.手術後2日目
翌日は夕方から病院に行くことになっていた。そこで右側だけガーゼを抜こう、という話だった。
一晩が過ぎ、口の中に流れてくる血の量は減っていたと思う。しかし、完全に止まったわけではなく、鼻からは普通に血が垂れるような状態であった。
それでも状態としては少し落ち着いたので、パンか何かを食べた気がする。
食事が足りていなかったのか、食事をすると気分も回復していった。
最初の綿球はとっくに血まみれになっていたので、自分で綿球を入れていたのだが、下手だったのですぐに赤くなったりするような状態だった。
在宅勤務ということにしていたので仕事のメールなどにも目を通すようにしていたのだが、やはりすぐに疲労してしまった。
夕方には病院に行き、右のガーゼが取れるのかと思ったが、出血の量が多かったようで、残念ながらガーゼの抜き取りは保留、それどころか更に多くのガーゼを詰められるに至った。
誤算だったのは、この日から、ガーゼにはストローがつかなくなってしまい、完全に鼻の呼吸が塞がれてしまったことだった。
手術当日も苦しかったが、鼻にストローが入っているのとないのでは感覚が全然違った。
2日目の夜の方が苦しく、眠るのがきつかった。
3.手術後3日目
この日は病院も無く、当然ガーゼも抜かれていないので、鼻呼吸ができない状態であった。
この時点でのガーゼはかなりの量が詰められていたので本当に空気の出し入れをすることができず、耳にまで圧迫されるような感覚が生じるようになり、物を食べたり飲んだりするのが大変だった。
当然、眠るときもろくに眠れなかった。
ただ、手術後はじめて洗髪をすることができて、これは非常に気持ちよかった。
4.手術後4日目
この日は朝から病院だった。
予定では、この日にガーゼを抜くということだったが、残念ながらガーゼはまた入れることになった。
量は少なくなっていっているようだったのだが、ほとんど呼吸できないことには変わりなかった。正確に言うと、鼻から少し空気を抜くことはできるのだが(苦労すればだが)、空気を入れることはできなかった。
病院に行くと非常に疲れる。ガーゼを抜くと血が出てくるので、また血を吐かないといけないのだ。
5.手術後5日目
鼻呼吸ができないまま、この日は出かけた。
言い忘れていたが、手術当日に鎮痛剤や抗生剤をもらっているので、風邪などは引いていない。
ただ、鼻で呼吸ができない。
この辺りから、そもそもなんで手術をしたんだっけ、みたいな感情が出てくるようになった。
ひとまずここまでとする
眠い
鼻の手術 その1
鼻中隔湾曲症と副鼻腔炎、下鼻甲介の手術を行ったので、現状と感想を書いてみる。
1.経緯
もともと自分は、慢性的な鼻詰まりに悩まされていた。
学生時代から鼻が詰まっていたから、10年以上にわたって鼻が詰まっている人生を送ってきた。
鼻が詰まると息もできないし眠れない。
そのため、自分は早いうちから点鼻薬に頼るようになり、これが効果抜群だったので、いつの間にか点鼻薬が手放せない生活になっていた。トラマリゾンに何か特別な調合をしているとか何とかで、いつも同じ耳鼻科で点鼻薬をもらって、寝る前に点鼻薬を打つという生活だった。
いずれは抜本的な手術をした方がよいのではないかと思っていたのだが、点鼻薬を打つと鼻の通りが良くなってしまうので、時間やお金のことなどを考え、ズルズルと何年も放置していたような状況であった。
しかし、ふと、このまま一生点鼻薬が手放せない人生は困ると思うようになっていった。
自分の場合、どの点鼻薬でもいいというものではなく、いつもの耳鼻科で処方してもらう点鼻薬でないと却って鼻が詰まってしまうようなこともあったので、万が一、いつもの耳鼻科が閉鎖したりしたらどうなるのだろうという不安もあった。
そこで、意を決して手術を受けることにしたのである。
2.手術前
手術は、いつもの耳鼻科ではなく、近所だが手術に慣れていて評判のいい耳鼻科でやってもらうことにした。
手術前には鼻のCTを撮影したりするのだが、画像で見る限りでは、自分の鼻は肉か何かで内部が圧迫されていて、空気の通り道は結構狭くなっているようだった。医院長の先生が担当してくれるようだったのだが、自分より年上であろうが、エネルギッシュで優しい人で、小心者の自分は安心感もあったが恐縮する気持ちが強かった。
正直、手術前は憂鬱で仕方なかった。
点鼻薬を打てば、若しくは調子がいいときであれば別に打たなくても、鼻呼吸ができる状態であったため、手術日が近づくにつれて「やりたくないなぁ」という気持ちが増大していった。
私が行った手術は、命に関わるようなリスクは全く論じられていなかったのだが、とにかく術後が苦しいという噂が多く、なぜ敢えて苦しいことをしなければならないのだろうという気持ちは拭えなかった。
また、自分は心配性なので、手術中に鼻呼吸ができなくなることが恐怖で仕方なかった。かつてバリウムか何かを飲んだとき、なぜか口呼吸がうまくできなくなり、パニックになった経験があった。そのため、鼻呼吸もできずに口呼吸もできないとなると、自分は死ぬのではないかと荒唐無稽な不安を抱えていた。
しかし、あまり恐怖を訴えても格好悪いので、できる限り口には出さないように努めていた。なお、前日は絶対に眠れないと思っていたのだが、意外と睡眠できた。
3.手術当日
手術は朝の9時頃から行われた。
服は普段着でよく、特別な準備をしていったものではない。
マイナンバーカードを使えば高額療養費も別途の手続をせずに勝手に適用されるようで、初めてマイナンバーの便利さを感じた。
手術前に鼻の中に麻酔を入れられるのだが、局所麻酔だったので、麻酔が染み込んだガーゼを鼻にどんどん詰められた。麻酔は飲むと腹の調子がおかしくなったりえづいたりするようだったので、口に垂れていったものは吐くように言われたのだが、これが意外ときつかった。
ここから、自分の鼻から息が吸えなくなっていく。
結構怖くて震えていたのだが、鼻呼吸ができなくなっても口呼吸は問題なくできたので、呼吸問題は意外と平気だった。
左手に点滴を入れて手術室前で30分くらい待っていたと思う。
自分の前にも既に手術をしている人がいたのだが、その人はそれほど痛そうでもなく、鼻を軽く押さえて涼しげな顔で出てきたため、少し恐怖心は薄れた。
そして自分の番が来て手術が始まった。
局所麻酔なので意識ははっきりとしており、あわよくば眠ってしまわないかなと思っていたのだが、全く眠くならなかった。
先生からは好きな曲をかけられると言われたのだが、自分の好きな曲を伝えるのも恥ずかしく、頭の中もそれどころではなかったので、流れっぱなしになっている謎のクラッシックをかけ続けてもらった。
手術は最初からベッドの上で横になって始まり、目にはタオルをかけられ、口には水?が出てくる固いストローのようなものを噛ませられた。歯医者でも使うもののようだが、自分は歯医者に通ったことが無いため、最初は使い方がわからず、ちょっと苦労した。
手術は先生と会話しながら行われた。雑談をしていたわけではない。動いてはいけないと言われたので、何か要望がある場合には口で伝えなければいけないのだ。
手術をするまでいまいちわかっていなかったのだが、自分は3つの手術をやることになっていたようだったので、まずは下鼻甲介の手術から始まった(と思う)。
鼻の中に器具が入っていくのだが、何をやっているのかはわからなかった。ただ、口の中に液体が流れこんできていたので、恐らく切っていたのだと思う。
これは多くの人が言っていると思うが、他の2つも含め、切られたりしていても痛みは無かった。正確には、何か引っ張られたり叩かれたりする感覚は強く感じるため、何も感じないということは決してないのだが、「切られて痛い」という感覚は無かった。
ただ、問題は口の中に流れ込んでくる液体である。恐らく血なのだろうが、結構流れてくるので、ストローに吸ってもらわないと気持ち悪くなる。
自分が慣れていないせいもあったのかもしれないが、このストロー吸引が非常に疲れた。噛み続けていないといけないし、飲んではいけないと神経質になってしまい、鼻よりも口に集中しているような状態だった。
こんな状態で呼吸ができるのかというのが心配だったのだが、意外と呼吸は普通にできて、息苦しくてパニックになるなどということは無かった。
目にはタオルをかけられていて目を瞑っているので何が起こっているのかはわからず、時間もわからなかったのだが、気づいたら時間が過ぎているという感じだった。
20分くらい経ったというところで、先生から「第1段階が終わりましたけど、続けますか?」と聞かれた。痛みも無くて呼吸もできるのであれば余裕があるのかというと、そうではない。やはり手術中なので、なんだかよくわからないが頭の中はずっとパニックではあった。その中で「続けますか?」という言葉は衝撃だった。そこに選択肢があること自体に意味がわからず、「え? え?」と混乱した回答しか言えなかった。
先生が説明してくれたことを自分なりに理解するところによると、3つの手術はそれぞれ独立しているので、患者の状態によっては計画を変更して3つのうち1つだけで終わらせたりすることも可能とのことだった。
正直、この時点でだいぶキツかったので、本気で止めようかとも思ったのだが、何のために来たのかもわからないし、結局また手術をするのも嫌だったので、続けてもらうことにした。
次の手術は鼻中隔湾曲症の手術で、これが印象的だったのは、骨を削っている音だ。ゴリゴリとした音が聞こえてきて、骨を切っている感じが何となくわかるのはちょっと怖かった。ただ、相変わらず痛くはない。削られたり叩かれたりして、その衝撃は感じるのだが、痛みは無かった。
最後は副鼻腔の手術だ。これは最初の手術と同じで、何か切られているであろうことがあり、口の中に血液が流れてくるの繰り返しだった。
最終的には1時間くらいの手術だったようだが、あっという間だったような、しかしかなり疲れたような、不思議な時間だった。
鼻には大量のガーゼを詰められ、綿球を詰められ、鼻呼吸の一切が不可能になり、待合室で休むことになった。この時間はとにかく口の中に血が流れてくるので、血をペッペと吐き出す作業の繰り返しだった。
自分の前後で手術を行った人たちよりも、確実に自分が一番大げさな感じがあって、少し恥ずかしかった。
1時間か2時間くらい休んだ後、先生が様子を見に来てくれて、帰宅ということになった。
ここからが本番なのだが、長くなったので一回区切ることにする。
無駄遣い
カッコいい大人になりたかったし、今でもなりたいと思っている。
身だしなみに気を付け、体を鍛え、資格の勉強をして、文学や音楽を趣味にして、そんな休日、人生を送りたいと思っていた。
実際は1つも実現していない。
くだらないことに金を使い、むしろ人生をマイナスにしている。
いつも同じことで後悔する。
リセット的な思考があるから、無かったことにしたいが、無かったことにできない。
そのときそのときは猛烈な反省をするが、いつの間にかその反省が消える。
自分以外の全ての人がすごい人に見える。
蔑んでいたクズな大人に、まさに自分がなっている。
せめて仕事を終わらせようと思ってもやる気が出ない。
やらなければいけないのにやる気が出ない、怖い。
こんなんではダメだ。
ダメだと思っているのに、ダメなままだ。
何かが変わると思っていたけど、何も変わらなかった。
自分は一生このままなのかもしれない。
汚い。
汚れている。
自分は、いつからこんな存在になってしまったんだ。
冷静になれない。
壊れている。
自分を分析しても何も出てこない。
何もできていない、輝きは無い。
自分が何もできていない、終わっている世界で、どうすればいいんだろう。
変えたい気持ちはあるのに変えられない。
欲望を抑えられない。
バカだ。
本当にバカだ。
どうすればいいんだ。
つまらない。
わからない。
モヤモヤだけが残り続ける。
自己開示の枷
GWだが色々と忙しかった。
仕事を終わらせたいと思っていたが、終わらせることはできなかった。
やりたいこと自体はたくさんあるが、そのために具体的な行動を始めるとすぐに挫折してしまう。
要は、継続しないのだ。
例えば漫画を描いたり写真を撮影したり、運動したり資格を取ったりと、こうなれたらいい、こうしたいと妄想することがあっても、時間がかかるとそれを忘れてしまう。
だいたいの人がそんなものだと思うのだが、自分はだいたいの人よりすごくなりたいというような欲求がある。
承認欲求はそれほど強くないとは思うのだが、逆につまらないことを恐れる傾向が強い。
この誰も読んでいないブログでさえ、身バレを恐れて具体的なことはほとんど書かない。
一応、アフィリエイトなどを目指しているのだから、それなりにアクセス数が無いと意味がないのだが、こんな抽象的な内容では面白さも何も無いだろう。
休みで良かったことは、仕事についてゆっくりと考えられたことかもしれない。
とにかく自分は、自分の力で勝つということが好きだ。勝つというのは、称賛のような意味合いがある。
仕事は、絶対に勝てるということはないし、勝負ばかりが続いていく。
これが辛い。
量が多い、わからないことが多いというのも原因かもしれない。
わからないことが多くて困るのだ。
分業になっていないのも原因だろうか。
いっそ全てを下に任せた方がいいのかもしれない。
それを拒んでいるのは自分自身だ。
他者との仕事は極めて面倒だ。
私は、自由であることに強い価値を見出だしている。
一方で、その自由は安定に裏付けされていることを希望している。
不安定は不自由に繋がる。
しかし、安定のために自由を捨てている。
このジレンマにいつも悩まされている。
勇気が無い。
が、ここで行動することは勇気なのか。
逃げでは無いのか。
目標を見失っている。
いずれは自由になりたいと考えていたが、客という存在がいる限りは自由になり得ない。
答えが見つからないから、躊躇する。
対人関係の無いところで安定を取れることが理想なのだろうか。
何がしたいのか、自分でもわからない。
人脈は必要か
「人のために仕事をすること」
「欲を捨てて社会のために仕事をすること」
これらの気持ちをもって、私欲を捨てれば社会的な成功が得られると指南するものが溢れている。
本当にそうか?
人脈を作ることの大事さが説かれる。
偉い人、力ある人と繋がることが大切だと言われる。
本当にそうか?
仕組みを理解しろ。
目標を忘れるな。
自分は何をしたかったのか。
何をしたくなかったのか。
自分がやりたいことのために必要なことは何だ?
「仕事が増えてほしい」わけではない。
「金が増えてほしい」のだ。
社会のために働くことはできない
私は「社会のため」に働くことは嘘だと思っている。
社会のために、人のためになりたいという心構えは、社会人として正しいことだと言われているが、私はこのような考え方がとにかくできない。
仕事は対価だ。
私は自分の生活のために時間を削って心を減らして労働している。
対価が欲しいからだ。
関係性が希薄な他者のために働いているわけではないし、ましてや社会などという曖昧で漠然としたもののために働いているわけではない。
そもそも「いい社会」とは何か。
誰かの利益は誰かの不利益になることはたくさんある。
それは経済的利益だけでなく、精神的な利益もそうだ。
誰もが幸せになれることは素晴らしいことだと私は思うが、他者の不幸にこそ幸せを感じる人にとって、そのような事態はどうなるのだろうか。
まるで子供の屁理屈だが、私は価値観とは個人の最も異なる部分で尊重されるべきものだと考えており、だからこそ「この価値観は誰にとっても正しい」という思考には懐疑的だ。
だから「社会のため」という言葉は、まるでその価値観に立てない人間は社会に属していないかのように聞こえてしまう。
しかし現実にそういった人間も属しているものを「社会」というのであるから、そこには強い矛盾があるように思えてしまう。
自分のため、金のために働くことは、何故いけないのか。
自分の成したことで相手が喜んでくれることは、私も当然嬉しい。
しかし、それは彼の喜びによって私の自己肯定感が充足されるためだ。
自分のためなのだ。
考えてもよくわからない
モヤモヤとした気持ちが晴れない。
天気のせいだろうか。
この時期は、春だなんだと言われながら現実は普通に寒いので、逆に気持ちが晴れやかにならない。
